2.5じげん

漫画 小説 映画 オタク

「現実」と「現実ではないもの」

精神安定剤としての村上春樹小説についての補足

 

 

私は人間とは基本的に、「現実」と「現実ではないもの」の双方が充実する事で、精神の安定を得るものだと思っている。

 

 

私にとってその「現実ではないもの」は本であり漫画だが、決してこれは私のようなオタクに限った話ではなく、実はこの世の大体の人は「現実ではないもの」に依存していると思う。どんな人だって、無意識のうちに、現実とは異なる世界、ここではないどこかを心の避難先に用意しているものだ。

 

例えば一番依存している人が多いのは男女問わず「ドラマ」だ。あなたの近くのオタク的趣味とはほど遠いリア充達も、全てのドラマを録画したり、海外ドラマを深夜まで見ている人は多いだろう。それだって立派な現実ではないものへの逃避であり、依存である。

 

「ゲーム」の人も結構多い。心を奪われたように携帯ゲームをしている人は、男女問わず意外と多い。また、「アイドル」や「芸能人」、「お笑い」を応援している人もいるだろう。自分の生きている世界とは違う世界で生きている人への応援だって、立派な非現実への逃避である。

 

そうした「現実ではないもの」に費やしたい時間を、仕事やプライベートの「現実」が浸食し、費やす時間が少なくなると、人とは精神のバランスを崩しがちだと思っている。

 

そんなわけで私は初対面の人に対しては、この人はどんな「現実ではないもの」に時間を費やしているのか探りをいれるようにしている。大体のリア充は「ドラマ」やら「海外ドラマ」なのだが、これがたまに全くわからない人がいて、そういう人って、なんか怖い。

 

後、「現実が現実を補完しているタイプ」もたまにいるのだけど、そういう人は大体やっかいだ。具体的には「恋人とのドラマチックな喧嘩や、職場先での壮大な人間関係のもめ事についてまるでドラマみたいに現実の話をする人」のことだ。英語では「ドラマクイーン」というらしいが、現実を大げさに誇張する事で(あるいは自らトラブルをおこすことで)、自らの現実を非現実のようにとらえて、精神のバランスをとっているのだと思う。そういう人は、「逃避できる非現実がないんだな…可哀想に…」と思ってしまう。

 

 

なにが言いたいのかというと、人は「逃避できる非現実の世界」を持っておくべきだし、そしてそれはなるべく早く、できれば中学生の時期に確立し、大事にするべきだと思うのだ。

 

もしも貴方が中学生や高校生で、心の逃げ場をすでにもっているのに、それを否定してくる人が周りにいたとしよう。その人は自分の中に「逃避できる非現実の世界」をまだ持っていない人だ、そういう人はいつか心のバランスを崩すだろう。

 

 

誰に否定されようと、自分の中で確固たる「逃げ場」を用意することは、悪い事ではない。それは必ず貴方の人生を強固にすると思う。

 

 

精神安定剤としての村上春樹小説のススメ

この数ヶ月私は消耗していた。

理由は転職活動と婚活と旅行と家族の入院というイベントを平行して行っていたからだ。このうち一番精神的にきつかったのはオタク的婚活なのだが、これについては後日詳しく書きたいと思っている。

 

そんな私の精神的な消耗を救ってくれるものはいつでも2次元だ。

 

前回の消耗を救ってくれたのは某アイドルだったのだが、今回の消耗を救ってくれたのは村上春樹小説だった。村上春樹先生もまさかオタク婚活などという低次元なことに関する精神的疲労を癒すために自らの小説が利用されているとは夢にも思っていないだろう。だが、本当に今回私の心を救ってくれたので、どこかで婚活に疲れているあなたのために、精神安定剤としての村上春樹小説のススメを書きたい。

 

そもそも精神安定剤としての村上春樹小説

 

そもそも村上春樹小説は「精神安定剤」としてとても優れていると思う。

心の安定を崩した方が、セラピーの一貫として読んでいるという記事も何度か見た事がある。

 

なぜか、というと、単純に村上春樹小説は「穴に潜る」からだと思っている。

上小説の主人公は、皆自らの精神の深淵へと踏み込むような穴にもぐっていく。

そんな主人公達と一緒に穴に潜るうち、自分自身も自らの心の奥底へと潜って行くのだ。そして本を読み終わった後には主人公と共に何かを理解している。

小説の主人公達はあるものは現実に帰還し、帰還を選ばない者もいる。でも読み手である私たちは現実に戻るしか無いのだ。帰還を選ばなかった主人公の分も、生きて行こうと感じる。

もう1つ、村上小説はとても優しい。私は村上小説は基本的にすべてハッピーエンドだと思っている。そうは思わない人もいるだろう、でも私にとってはすべてハッピーエンドだ。だからとても安心した気持ちで読む事ができる。

 

 

おすすめの読み方

 

私はエッセイも含めほぼ全ての村上春樹作品を読んでいるが、初読、なおかつ癒しを求めているあなたにおすすめの読み方は「とにかく発表順に読む」ということだ。村上作品は全てどこかが大きくリンクしており、それはデビュー作から始まっている。そのリンクを感じることも、面白さの1つだ。

だから、絶対にノルウェイの森から、海辺のカフカからは読むな。絶対だぞ!!!と、とにかく声を大にして言いたい。

 

まずはデビュー作の「風の歌を聴け」から読んでみよう。

とても短いから簡単に読めるだろう。

そして、「風の歌を聴け」が全くあなたの琴線に触れる部分がなければ、あなたは今は村上春樹小説を必要としていないのだと思う。

他の癒しを探してみてほしい。

 

少しでも琴線に触れる部分があれば、次に「羊をめぐる冒険」を読もう。

(*発表順だと「1973年のピンボール」という短編だが、本を読む習慣が少ない人ならばとばしてもokだ。村上作品が好きになったら読んでほしい。本を読む事が苦にならない人なら、「1973年のピンボール」を読んでからがベターかと。)

 

羊をめぐる冒険」はとにかく面白い。「羊をめぐる冒険」を読んで、「穴に潜る」という感覚がどことなく理解できたなら、もしかして今貴方は村上春樹小説を必要としているかもしれない。

 

そしたら次に「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だ。この作品を読む為に、私は「風の歌を聴け」を、「羊をめぐる冒険」を読んで来たのかと感じる。何度読んでも新しい発見がある小説だ。

 

ここまできたら、貴方は少し村上春樹世界の「僕」を好きになり始めているだろう。

 

しつこいようだが、全くあなたの琴線に触れる部分がなければ、あなたは今は村上春樹小説を必要としていないのだと思う。

 

私の見解では、ここまで読めば、少し順番から外れてもいいかと思う。

「羊男」にまた会いたくなったら次は「ダンスダンスダンス」を読むといいだろうし、更に深く穴に潜りたくなったら「ねじまき鳥クロニクル」は貴方を深い井戸に誘ってくれる。

そして、「ノルウェイの森」を読むと、これまで読んで来た村上作品とのいくつもの共通点、相違点に気付かされるはずだ。

 

 

精神安定剤としての村上春樹小説

 

ここまで発表順に作品をあげてきたが、私にとっての精神安定剤としての村上春樹小説は、この「ノルウェイの森」で終了する。

実のところこれ以降の作品を読んでも、私にとってはセラピーのような効果を得ることが出来ないのだ。琴線に触れないのである。

 

私が精神安定剤としての村上春樹小説を読む時は、「風の歌を聴け」から読み始める。そして「ノルウェイの森」を読み終わった頃には、ふと顔をあげ、「そうだ、私は自分の現実を生きないといけない」と感じる。セラピーが終わり、「現実に戻る力」を取り戻しているのだ。

 

 

海辺のカフカ」以降の長編は私にとっては穴に潜る事のできない小説である。

個人的な見解だが、「海辺のカフカ」以降の小説における暴力表現がどうしても受け入れられない部分があるからではないかと感じている。

 

でも、貴方にとっては違うかもしれない。海辺のカフカ」以降の長編こそが、貴方の癒しに繋がる小説かもしれない。琴線に触れるものがあるのであれば、ぜひすべての小説を発表順に読んでほしいと思う。

 

今更見た「君の名は」が想像を遥かに超えて面白かったので感想を書いてみる(もちろんネタバレ)

公開時には、絶対泣かない、確実に好きじゃない、という謎の脅迫観念にかられて意地でも観に行かなかった「君の名は」ですが、今更ながら観賞してみたところ想像を遥かに超えて面白かったので、個人的感想を書いてみます。盛大にネタバレするのでご注意ください!

  

どういうところが面白かったのか…というと、なんとなく皆様と見解がずれている気がするのですが、私はこの作品から漂う「ホラー要素」に強く惹かれました。

 

時空を超えたり、体が入れ替わっちゃったり、ちょっと恋心抱いちゃったり、引き裂かれたりしながら、最後に2人が巡り会う、超正統派の「boy meets girl♡」ストーリーですが、2人がラストシーンで出会ったとき、なんとなく薄ら寒い気持ちになりませんでしたか?私は凄く怖かったです。

 

「あ…瀧君みつかっちゃった…」

 

と思いました。

 

ラストシーンだけではありません、瀧君の携帯の文字が消えて行くとき、瀧君がご神体のある山で目覚めたとき、記憶が改ざんされているとき、そのほか、色々なところに、私は、とても、「ホラー」を感じました。

 

まずはこの「君の名は」、裏側にある設定は以下の通りだそうです。

 

「糸守は1200年毎に彗星が落下してくる不思議な土地

宮水一族は女しか生まれない一族で入れ替わりの能力を使って婿を得て巫女の血を絶やさないようにしてる

宮水一族は1200年毎に降り注ぐ彗星から人々を守る為に存在してる

だから彗星のことを予知出来るように自分と時間軸のズレた人間と入れ替わるようになっている」

 

 

つまりですね、あくまで起点はすべて三葉なのです。三葉であり、糸守町であり、宮水家の意思なわけです。

この話はですね、双方が思い合っているわけではないのです、両方が引き寄せ合った訳ではなく、起点はすべて三葉であり、瀧君は三葉によって選ばれたのであり、瀧君は三葉(と糸守町の人々)を生かす為に糸で操られたコマなわけです。

 

先ほどホラーを感じた要素は、瀧君の携帯の文字が消えて行くとき、(ご神体のある)山で目覚めたとき、と書きましたが、このホラーを感じた要素はどちらも瀧君サイドからの出来事です。飛騨旅行だって周りの人から見たら「頭おかしくなったの?」状態だし、そもそもこの入れ替わり、メリットは三葉にしかなく、瀧君サイドは「頭おかしくなったの?」的デメリットばかりです。後半はひたすら「巫女としての三葉の傀儡として瀧君が奔走する物語」です。

 

それがひたすらに美しく描かれ、ラスト2人は出会うわけです。

 

「時間軸をずらして生き返すなんて反則だ」とか、

「出会わずに終わった方が美しかった」とか、

「大衆に迎合してハッピーエンドにしやがって」とか、

「出会えて感動♡やっぱり2人は運命の2人だね♡」とか、

それはもう色んな意見をみましたが、

個人的にはそれは違うのではないかと。

 

だって、瀧君「コマ」ですから!!巫女に寄って糸で絡めとられた傀儡!

入れ替わりに全然メリットなかったし、先輩との恋も実らなかったし、変な子扱いされちゃったし。

 

ラストはね、もう、

 

「あ…瀧君みつかっちゃった…」

 

と思いましたよ。笑

巫女に、みつかっちゃった…と。

 

怖っ!

 

 

…と。

…どうでしょう?少しは私の感じたホラー的要素がお分かりいただけたでしょうか?

 

で、ですね、更にいうと、これは「誰でもよかったんだろうな」と。

「瀧君である必然税がわからない」という感想もみかけましたが、むしろ必然性なんて無い。これはたまたま瀧君でうまくいったから瀧君なのだろうなと。この映画はたまたま成功した「瀧君エンド」を切り取っただけだと思うわけです。

 

つまり、三葉は平行世界、もしくは記憶がないだけで不特定多数の人と「入れ替わり」をしていて、瀧君にとっては三葉は1人ですが、三葉にとっては何人もいるうちの1人なのだろうなーと思ったのです。で、この映画はたまたま成功した「瀧君エンド」を切り取っただけなのではないでしょうか。なので三葉にとっての「君の名は」と瀧君にとっての「君の名は」は実は意味が違います。瀧君は巫女に翻弄されて記憶を無くしているだけですが、三葉にとっては本当に、one of them の中の、「えーっと、君の名前、瀧君でいいんだよね?」なのではないでしょうか。三葉は終盤「君の名は「瀧君」!」と確かめるように何度も叫びます。三葉にとっては「何人もいる傀儡の中で、ようやく成功してくれた、君の名前は「瀧君」、だよね?ご苦労であった!君の名前は覚えておこう!」という感覚が(無自覚に)あるのではないでしょうか。

 

そんな感じでラストシーンを見ると、

いや…瀧君ただのコマやん…とか、

いや、誰でもよかったんやろ…瀧君で何人目や…

とか薄ら寒い気持ちになってきませんか?

 

更につきつめると、「三葉的には誰でもよかった」でもないわけです。「糸守町的には」ですね。三葉もまた糸守町ないしは宮水家の遺伝子によって動かされ、誰かに体を貸す傀儡な訳です。何人もの人々にその若い体を貸して、糸守町を救う手助けをさせないといけないわけですから、むしろ「体を売って」いるようなものです。

 

で、最後2人は出会う。

 

これも糸守町にとっては、もはや、

「傀儡と巫女、ご苦労であった。もう用済みだから、2人はくっついちゃえば〜?」くらいの運命操作に見えてきませんか?

 

糸で操られた傀儡と、体を売った巫女が「恋をした」という幻想を、何か大いなるものによって植え付けられてしまった物語。

 

 

でもですね、更にいうならば、「運命」ってこんなもんなのだろうなと思ったのです。

 

 

瀧君は三葉に利用された傀儡ですが、その自覚はありません。三葉だって遺伝子に操られながら体を売らされていた訳です。そして、お互い名前も知らない人と、なにか大いなる意思によって恋に落とされる。

でも、それが運命じゃないかというと、そんなことはない。運命の出会いってそんなものなのではないかなと。

 

勘違いと、打算と、一方通行と、思い込みと、記憶も改ざんされて、遺伝子に利用されて、そんな色んなことが組み合わさって、運命の「boy meets girl」が発生するのだと。そういう物語なのではないかと思いました。

 

 

 

 

…以上が私の見解なのですが、 ネットで感想や考察をさらってみたのですが、ヒットしすぎたせいでしょうか、ポニョやシンゴジラのように眼から鱗が落ちるような素晴らしい考察がネット上に見つかりません。どうぞおすすめがあったら教えてください。

 

 

君の名は。

君の名は。

 

 

 追記:

3年のタイムラグに気づかないなんて馬鹿じゃない?という感想を見かけますが、これはまったくそういう次元の話ではないと思っています。瀧君も三葉も記憶を「大いなる意志」みたいなものによって操作されていますし、お互いの体に入っている時のことは、鮮明には覚えていないと思われます。そもそも3年のタイムラグどころの話ではなく、瀧君は当然「糸守」の存在はニュースで知っているはずであり、三葉の住んでいる場所が糸守であることくらいはわかるはずです。それがわからないということは、瀧君にはかなりの記憶の操作が成されているのでしょう。起きるときに泣いている時には、その秘密に触れて、かつ、その記憶を消されてしまった時なのではないでしょうか。

 

瀧君という傀儡に与えられた使命は「糸守に実際に行き、ご神体のお酒を飲むこと」。それをなした時に、傀儡は巫女と会って、彗星の危機を告げる資格を得るのだと思われます。

 

(…しかしなんでそんなまだるっこしいやりかたにしたんでしょうね)

 

 

追記2:

さらに言えば、この話は「就活に疲れた無い内定のダメな大学生」と、「故郷を災害で無くして東京で消耗しているOL(尚地元の唯一の幼馴染たちは結婚)」という、「東京に消耗している」2人の出会いに「もしも運命を求めるのならば?」という壮大な妄想なのではないでしょうかね。

実写版 銀魂の感想とすごいところ

 

「実写版 銀魂」観てきたから感想書くよ~!

 

 

正直に言って、かなり心のハードルを下げて行ったので、反動で評価が高くなっている面もある。でも、とても面白かったよ~!

コメディパートは開始からずっと笑っていたし、面白いだけではなく登場人物たちは皆かっこよく、可愛かった。

「なんでもあり」で「サブカル的」、でも、どこか一本筋が通った、「銀魂」らしい実写映画化だなと感じたよ。

 

ではここからは、実写版銀魂の「アニメに寄せているところがすごい」「取捨選択がすごい」「キャストがすごい」という3つのすごいについて語りたいと思います!

 

原作とは若干、でも個人的には重要な変更箇所があって、そこに触れているので、ネタバレしたくない方は読まないほうがいいよ!

 

ではどうぞ!

 

 

1.アニメに寄せているところがすごい

後ろの席の人が見終わった後、開口一番「アニメ版紅桜編が観たくなった」とつぶやきました。その気持ちとてもわかります。そう、この実写版銀魂「アニメ版銀魂」にかなり寄せているのです。

そしてそれこそが実写版を違和感なく見ることができた、最大の要因ではないかと思いました。

 

俳優さんたちの演技や、台詞回しや、表情の作り方、そしてなんならカメラ割までもが、アニメ版を見て研究したのだろうなという感じだったし、冒頭のカウントダウンTVのところとか、松陽先生の声優さんがアニメ版と同じ山寺さんなのとか、おぉって思いましたよ。

そしてこれは他の人々の感想でも多く見られたのだけど、実写版銀魂の俳優さんたちは、ビジュアルもさることながら「声」がすごくいいんです!

メインキャストの小栗さんも岡田さんも堂本剛さんも「声」が素晴らしく、実写版にありがちな「なんか違う」感じがしなかったし、アニメ版銀魂の豪華な声優さん達にも引けをとらない美声っぷりでした。実はマンガの実写化において「声」ってとても大事なのだなと気づかされました。

 

2.取捨選択がすごい

予算面、展開面、キャラクター面における、取捨選択の潔さがすごいと思いました。

 

まずは予算面ですが、全編にわたって、「あぁ、予算足りなかったんだな…」って場面が多々ありまして、それによる取捨選択がとてもいさぎよくて良かったです。天人の着ぐるみ感とか、ブルーバック感とか…。

そして展開面。いさぎよく出会い編をすっとばし、キャラクターのバックグラウンドをナレーションで説明。まるでコナン映画のオープニングさながらの、「原作読んでないやつは来ないだろ!」と言わんばかりの潔さに、素直に感動しました。メインキャラクターの出会いを無理やり前半30分に詰め込んで尺が変な感じになるのって実写映画化あるあるだと思うのですが、これくらい潔くカットしちゃってもいいと思いましたね。まぁ銀魂という絶対原作読んでない人は観ないだろって映画だからこそできる技だとも思いますが…。

 

そしてキャラクター面。

マンガの実写映画化するにあたっては、長い原作を2時間の映画にまとめる以上、必ず主要キャラクターの中で「原作通りであることを諦めないといけないキャラクター」が出てくるものだと思います。そしてどのキャラクターを原作に忠実に再現するか、どのキャラクターを原作通りにすることを諦めて狂言回しにするかという取捨選択の部分で、私はその映画の良しあしとか、好き嫌いが変わってくると思っています。そして、私は個人的には実写版銀魂の取捨選択が好きでした。

 

実写版銀魂で、原作通りであることを諦めた一番主要なキャラクターは土方と近藤でしたね。土方って1,2を争う人気キャラクターなのですが、割と明確に話の筋から切られていました。ところがですね、沖田はとてもキャラクターの造形が忠実だったのです。そして土方と近藤はほぼメインの話に絡んでいないけれど、沖田は見せ場があった。おそらく沖田のほうを空気にして、もっと土方に見せ場を与えることもできたと思うんです。監督は土方と近藤を諦めて、沖田を選んだわけです。そこが私は好きでした。まぁぶっちゃけ自分が沖田が好きだからというのも大きな理由なのですが、私は以前も書いたけど、銀魂って「少年漫画」だと思っているので、銀八、神楽、沖田という「少年少女組」はきちんとスポットが当たるべきだと思っているのです。

 

haru-michi2.hatenablog.com

 

3.キャストがすごい

まず小栗旬さんは本当に素敵でした。原作へのリスペクトを感じました。

そして予想を超えてよかったのは女性陣です。正直原作でもあまりイメージがついていなかったのですが、ななおちゃんのまた子と長澤まさみさんのお妙さんを見て、なるほどまた子ってこういう子なのか、かわいいじゃん…と思ったり、お妙さんってこういう感じなのか、これは怖いわwという新たな発見がありました。

 

そして堂本剛さん。私の世代にとって、堂本剛さんとは圧倒的カリスマなのです。いくら時代が過ぎようとも、彼の輝きは永遠に記憶に残り続けているのです。

そしてそんなカリスマが、カリスマ高杉晋助をやるということは、かなりの事件なんです。

正直どんな感じになるのか想像もつかなかったのですが、正直、観終わった後もよくわかりませんでした。ただ、前述したとおり本当に「美声だな」と感じました。関西弁でゆっくりしゃべる姿しか最近見かけていなかったので、第一声の「ぎんとき」の声で、本当に「こんな声だったっけ?!」とびっくりしました。これはジブリ声優のオファー来てしまうやろ!

で、この「堂本高杉」は明らかにこの映画において特別扱いされておりまして、さきほど「原作通りであることを諦めないといけないキャラクター」について書いたけれど、この「堂本高杉」も少し原作の高杉とは違っていたように感じました。ラスト、最後までアニメに全力で寄せていたこの実写版銀魂ですが、アニメ屈指の名シーンである「銀時と桂の共闘」を敢えて捨てて、「銀時と高杉の戦い」が行われるんですよね。

このアニメにおいて一番人気があるシーンを敢えてやらないのが、潔くていいなと思いました。どうしてもアニメと比べてしまうだろうし、話の収まりもきれいだったように思います。

 

 

 

そんなこんなで実写版銀魂のすごいところを書いていきました。

いろいろ書きましたが、銀魂みたいなファンタジー色の強いマンガが実写化されて面白いなんて、本当に、単純に、すごいことだなと思います。

原作ファンで観るかためらっている方には、個人的にはぜひおすすめしたいです。

 

 

ハンターハンター再開を祝して、王位継承戦の勝者と今後の展開を予想する

ハンターハンター34巻発売&連載再開おめでとうございます!!

 

 

発売日から毎日読んでは、クロロとヒソカの戦いをどうにか理解しようと必死です!未だによくわからない!

 

さて、このブログ、非常に細々とアクセスいただいているのですが、多くの方にこの↓記事を読んでいただいております。

 

 

haru-michi2.hatenablog.com

haru-michi2.hatenablog.com

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未読の方は、ものすごく時間がある時に読んでいただけると嬉しいのですが、簡単にまとめると幽遊白書を書き直したのがハンターハンターなのではないか」というようなことが書いています。ハンターハンターとは、幽遊白書のキャラクターと展開を踏襲しているのではないかという考察です。

 

34巻発売と連載再開を祝して、この、「ハンターハンター幽遊白書のオマージュ説」を元に、簡単に今後の展開と王位継承戦で誰が勝つのかを予想したいと思います!

ただの妄想なので、間に受けないでください

 

 

まずそもそも、王位継承戦=魔界トーナメントなのか?:

 

個人的な見解としては、冨樫先生は「魔界トーナメント編」は、ハンターハンターにおいてきっちり書き直すと思っています。むしろ幽遊白書において消化不良で終わった「魔界トーナメント編をちゃんと書ききる事」こそがハンターハンターを書き始めた目的なのではないかなーなんて妄想しています。

 

なので、今後暗黒大陸編では、なんらかの理由で、全てのキャラクターが絡んだ大掛かりな「トーナメント戦」が開かれるのではないかと思われます。

 

で、今BW号内で始まっている「王位継承戦」が、もしかして「魔界トーナメント」なのか?

 

…と思ったのですが、おそらく、違うのではないかと。

 

「小さな島の中継基地」がゴンの住むくじら島であるという考察が有力なので、おそらくそこでゴンが合流。

 

魔界トーナメントは幽介の号令によって始まったので、ハンターハンターにおけるトーナメント戦も、ゴンの号令によって始まると思われます。

なので王位継承性は、その前哨戦かなぁ。

 

でも、「王子」達の中に、「黄泉」と「ムクロ」はいるのではないか?!と実はにらんでいます。

 

 

黄泉はオイトか?:

 

と、いうのも、クラピカが属している、オイトが黄泉っぽいんですよね。

理由はクラピカ(=蔵馬)が属しているということと、ワブル王子が修羅っぽい…というだけなんですけども。

ただ、因縁があるという点と、強さから、実はツェリード二ヒが黄泉なのか?とも考えられます。ちょっとまだわからない。

 

で、黄泉がオイトっぽいなーと思うと、「ムクロ」も王子の中にいるのではないか!?と考えてしまいますよね。

これは今後キルアが合流すれば明らかになるかと思われます。カミーラか、カチョウ&フウゲツかな?

 

 

そんなわけで、王位継承性はあくまで前哨戦なので、特に「勝者」は出ないのではないかと思います。

 

 

以前の記事でも少し書きましたが、

これからキルア、ゴンが船に合流。(恐らくキルアは王子の内の誰か(=ムクロ)の護衛として乗船?)

アルカ(=雪菜)のことをレオリオ(=桑原)が好きになる。

ドン•フリークス(=ライゼン)登場&死亡

ゴンの号令で、全てのキャラクターが絡んだ大掛かりな「トーナメント戦」が開かれる

 

…なんていう展開が待っているのではないかと予想します。

 

 

ハンターハンターにおけるトーナメントは相当豪華なことになりそうですね。今、BW号にはほぼ全てのメインキャラが乗っているわけですからね。

 

 

とかいって、あくまで妄想です。全く外れていたって、私、かまわないですw

とにかくハンターハンターの続きが読める事が嬉しいし、今後の展開が楽しみで楽しみで、楽しみなのです!冨樫先生、これからもお体にお気をつけて下さいませ、楽しみに楽しみにしています!!!

 

 

 

 以下はただのクラピカの美しさについてのつぶやきですw

 

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映画版「3月のライオン」の「後編」に感じた映画化の意義

映画版「3月のライオン」が個人的に素晴らしかったので、書き留めておきたい。

 

 

原作ファンで敬遠している方、前編を観て「後編はいいかな…」と思った方、ぜひ後編も観てほしい。前後編併せて、初めて「映画版 3月のライオン」だった。

 

 

もともと期待値のハードルが低い状態で見に行ったというのもあるけれど、個人的に漫画原作映画の中で1番好きかもしれない。「映画の素晴らしさ」とか「漫画を映画化することの意義」ってこういうことだよな、と感じる作品だった。

 

 ぜひたくさんの人に見てほしいなと思うので、こうしてブログに書いてみる。

 

「後編」のネタバレを含む感想なので、ネタバレを好まない方はぜひ観てから読んでほしい。1つ告げておきたいのだが、ほぼ原作のダイジェスト版だった前編と異なり、後編原作と大幅にストーリーの変更がある。…というか、発生する事件のパーツは同じなのだが、それに対する人々の動きが原作とは大きく異なるのだ。

 

前編の「桐山零」は漫画そのままの桐山零だったが、後編の「桐山零」は漫画版とはすこしずつずれていき、最終的には平行世界に生きる別の桐山零になった。でも、それはまぎれもなくもう1人の桐山零であり、なんなら私は映画版桐山零をもっと観てみたい。

 

私は前編を観てあまり心を動かさなかったのだが、後編の素晴らしさについて熱く語るブログ(ネタバレ有り)を読んで興味を持ち後編を見に行った。

 

そのような経緯もあるため、個人的にはある程度ネタバレしてから後編をみるのも有りかなとは思う。とにかく、原作ファンの方、そして、前編だけ観て興味を無くした方に、ぜひ「後編」も観てほしいのだ!

 

 

 

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東京BABYLON 考

思うところがあってCLAMPの「東京BABYLON」を15年振りくらいに読み返して、改めて感じたことがあるので書き留めておきたい。

 

CLAMPと言えば「カードキャプターさくら」や「ちょびっつ」、近年だと「xxxHOLiC」が代表作と称されるのだろうか。

でも、私が個人的に好きで、何度も読み返しているCLAMP作品は、断然「東京BABYLON」だ。

 

1990年(!)に連載が始まったこの作品、ギャグセンスや取り扱われるグッズ(ポケ別やダイヤルQ2)にこそ時代は感じるけど、現代の東京にあてはめても全く違和感のない問題が取り扱われている。むしろ26年たっても、この漫画で取り上げられている題材が解決していないことに驚かされる。東京って、全く進化していないんだな。

 

少々読みずらい部分もあるかもしれないけれど、全7巻で完結しているため、ぜひオススメしたい作品である。

 

メインのキャラクターは恐ろしく少なく、陰陽師一族の若き末裔の昴流とその双子の姉北都、そして動物病院を営むが実は暗殺集団「桜塚護」の当主星史郎の3人のみで作品は構成されている。

設定だけで中2病の香りがビシバシするが、読めば分かるがこれは全ての中2病患者達をなぎ倒す(そして、優しく現実に向かわせる)作品である。設定の前提として星史郎(男)が昴流(男)を「好き」という一見BLをにおわせる設定があるが、この「好き」という設定もくせ者なので、ぜひその設定にくじけずに読み進めてほしい。壮絶なラストには考えさせられるはずだ。

 

 

直木賞作家の辻村深月さんも「価値観を変えた作品」として紹介していた。

CLAMPという集団の狂気と美意識がぎっしりと詰まった作品だと思っている。

 

 

以下、壮絶なネタばれ注意

 

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