2.5じげん

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「現実」と「現実ではないもの」

精神安定剤としての村上春樹小説についての補足

 

 

私は人間とは基本的に、「現実」と「現実ではないもの」の双方が充実する事で、精神の安定を得るものだと思っている。

 

 

私にとってその「現実ではないもの」は本であり漫画だが、決してこれは私のようなオタクに限った話ではなく、実はこの世の大体の人は「現実ではないもの」に依存していると思う。どんな人だって、無意識のうちに、現実とは異なる世界、ここではないどこかを心の避難先に用意しているものだ。

 

例えば一番依存している人が多いのは男女問わず「ドラマ」だ。あなたの近くのオタク的趣味とはほど遠いリア充達も、全てのドラマを録画したり、海外ドラマを深夜まで見ている人は多いだろう。それだって立派な現実ではないものへの逃避であり、依存である。

 

「ゲーム」の人も結構多い。心を奪われたように携帯ゲームをしている人は、男女問わず意外と多い。また、「アイドル」や「芸能人」、「お笑い」を応援している人もいるだろう。自分の生きている世界とは違う世界で生きている人への応援だって、立派な非現実への逃避である。

 

そうした「現実ではないもの」に費やしたい時間を、仕事やプライベートの「現実」が浸食し、費やす時間が少なくなると、人とは精神のバランスを崩しがちだと思っている。

 

そんなわけで私は初対面の人に対しては、この人はどんな「現実ではないもの」に時間を費やしているのか探りをいれるようにしている。大体のリア充は「ドラマ」やら「海外ドラマ」なのだが、これがたまに全くわからない人がいて、そういう人って、なんか怖い。

 

後、「現実が現実を補完しているタイプ」もたまにいるのだけど、そういう人は大体やっかいだ。具体的には「恋人とのドラマチックな喧嘩や、職場先での壮大な人間関係のもめ事についてまるでドラマみたいに現実の話をする人」のことだ。英語では「ドラマクイーン」というらしいが、現実を大げさに誇張する事で(あるいは自らトラブルをおこすことで)、自らの現実を非現実のようにとらえて、精神のバランスをとっているのだと思う。そういう人は、「逃避できる非現実がないんだな…可哀想に…」と思ってしまう。

 

 

なにが言いたいのかというと、人は「逃避できる非現実の世界」を持っておくべきだし、そしてそれはなるべく早く、できれば中学生の時期に確立し、大事にするべきだと思うのだ。

 

もしも貴方が中学生や高校生で、心の逃げ場をすでにもっているのに、それを否定してくる人が周りにいたとしよう。その人は自分の中に「逃避できる非現実の世界」をまだ持っていない人だ、そういう人はいつか心のバランスを崩すだろう。

 

 

誰に否定されようと、自分の中で確固たる「逃げ場」を用意することは、悪い事ではない。それは必ず貴方の人生を強固にすると思う。