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辻村深月「スロウハイツの神様」(ネタバレ)

私はこの人の小説を読むと、「同世代だな」と強く感じます。更に言えば、同世代オタク女子。きっとこの人とは、同じ漫画や本を読んで育ったのだろうなと思います。そして同世代だからこの人の小説を面白いと感じるのかもしれません。例えば辻村さんがインタビューで価値観が変わった漫画に「東京BABYLON」をあげていて、超わかるんです。


同じ世代に生きた人って、やっぱり同じ感性をもっていますよね。たとえ違う地域に住んでいたとしても、同じ漫画やテレビ番組や歌手に夢中になり、同じ教育を受け、同じ事件をニュースで見て、同じような遊びをして育ったのだから。なので例えば、辻村深月さんにとって重要なテーマである「イジメ」に関する理解は、とても共感できます。この人と私は同じイジメを見て育ったと思う。クラスの中で「上」と「下」があって、ささいなことがきっかけで始まって、いじめる側もいじめられる側もおどろくほど卑屈で計算高い感情を持っていて…などなど、同世代のリアルさがあるなと思います。この人の書く主要な登場人物は一見ありがちなパターンにはまった、非現実的に恵まれた漫画的キャラクターなのですが(イケメン・生徒会長・ちょっと不良な親友・学校一の秀才etc..)実はネチネチして、とても現実的なイジメの空気の中にいる人が多いんです。そして本人も、それが偶像だとわかっている描写もある。(例えばある話では、ずっと「かわいい女の子」として書かれていた子が、実は自分では「化粧がうまいだけで本当の美人ではない」と思い、コンプレックスを抱えている描写がある。「スロウハイツの神様」も、一見クリエーター集団の同居というハチクロ的華やかな描写ではじまるけれども、部外者に「オタク集団、気持ちが悪い」と言われる描写がある。)その書き方に同世代的な妄想や、達観を感じたりもするわけです。結局この人が書きたいのはそのネチネチした感情で、各キャラクターに与えられた漫画的個性は虚構であり、作者が用意した救いなのではないかと思っています。


辻村さんの話で一番好きなのは、この「スロウハイツの神様」かもしれません。

この話は「コーちゃん」と呼ばれるライトノベル作家を中心に話が進みます。「コーちゃん」は中高生(のおそらくオタク)にとても人気があるのですが、その小説に憧れた少年が人を殺してしまったことから世間にバッシングを受けてしまい、小説が書けなくなってしまいます。

おそらく同世代オタクならば、いや、オタクでなくても、この話をよんだとき心の中で自らの「コーちゃん」を思い出すのではないでしょうか。グロテスクだったり、妄想的だから、親や健全な友達には理解されず、でも大好きでこっそり読んでいたあの小説や漫画。私が真っ先に思い出したのは「バトルロワイヤル」でした。とても面白かったのに、親からは読むなと言われ、世間的な評価も低いのが当時中学生だった自分には全くわかりませんでした。(まぁ今では少しわかりますが・・)とにかく当時の自分にとってはとても特別な小説だったんです。

さて、この「スロウハイツの神様」の「コーちゃん」は、ある女の子からもらった手紙がきっかけで再び小説を書けるようになります。かいつまんでいうと「コーちゃんの小説によって死んでしまった人がいるけれど、救われた人はもっといる」という手紙です。この話のテーマはおそらくここです。私は漫画や本に何度も救われてきました。漫画やゲームの及ぼす悪影響について言及され始めたのは、おそらく私達の世代からではないでしょうか。

「漫画や小説は悪影響を確かに及ぼすかもしれない、でもそれ以上に、その存在に命を救われた人はたくさんいる」…このメッセージに、私はとても共感するのです。


ちなみに最近の著書はあまり追いかけていません。大人になって少し毒気がぬけちゃったなという印象…昔の小説は必ず読者に対して「嘘」をいれていたのだけど、今でもいれているんだろうか?

 


追記)久々に「冷たい校舎の~」を読んで本当によくできた話だと思った。結末を分かった上で大人になってから読むと、実は主人公達リア充軍団の「無意識の悪意」を弾劾した話なのか?と思う。昔よんだときは「被害者」と「加害者」を入れ替わらせた彼女に嫌な気持ちを覚えたけど、なんだか彼女の視点で読むと実は彼らも明確に「加害者」だったんだなと思った。

 

再追記)コメントいただいた、通りすがりの方、ありがとうございました…!恐ろしいミスに頭をかかえました。最近の著書は、自分が家庭をもってからおいかけてみようかと思います。

 

 

 

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)

スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)