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映画版「3月のライオン」の「後編」に感じた映画化の意義

映画版「3月のライオン」が個人的に素晴らしかったので、書き留めておきたい。

 

 

原作ファンで敬遠している方、前編を観て「後編はいいかな…」と思った方、ぜひ後編も観てほしい。前後編併せて、初めて「映画版 3月のライオン」だった。

 

 

もともと期待値のハードルが低い状態で見に行ったというのもあるけれど、個人的に漫画原作映画の中で1番好きかもしれない。「映画の素晴らしさ」とか「漫画を映画化することの意義」ってこういうことだよな、と感じる作品だった。

 

 ぜひたくさんの人に見てほしいなと思うので、こうしてブログに書いてみる。

 

「後編」のネタバレを含む感想なので、ネタバレを好まない方はぜひ観てから読んでほしい。1つ告げておきたいのだが、ほぼ原作のダイジェスト版だった前編と異なり、後編原作と大幅にストーリーの変更がある。…というか、発生する事件のパーツは同じなのだが、それに対する人々の動きが原作とは大きく異なるのだ。

 

前編の「桐山零」は漫画そのままの桐山零だったが、後編の「桐山零」は漫画版とはすこしずつずれていき、最終的には平行世界に生きる別の桐山零になった。でも、それはまぎれもなくもう1人の桐山零であり、なんなら私は映画版桐山零をもっと観てみたい。

 

私は前編を観てあまり心を動かさなかったのだが、後編の素晴らしさについて熱く語るブログ(ネタバレ有り)を読んで興味を持ち後編を見に行った。

 

そのような経緯もあるため、個人的にはある程度ネタバレしてから後編をみるのも有りかなとは思う。とにかく、原作ファンの方、そして、前編だけ観て興味を無くした方に、ぜひ「後編」も観てほしいのだ!

 

 

 

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東京BABYLON 考

思うところがあってCLAMPの「東京BABYLON」を15年振りくらいに読み返して、改めて感じたことがあるので書き留めておきたい。

 

CLAMPと言えば「カードキャプターさくら」や「ちょびっつ」、近年だと「xxxHOLiC」が代表作と称されるのだろうか。

でも、私が個人的に好きで、何度も読み返しているCLAMP作品は、断然「東京BABYLON」だ。

 

1990年(!)に連載が始まったこの作品、ギャグセンスや取り扱われるグッズ(ポケ別やダイヤルQ2)にこそ時代は感じるけど、現代の東京にあてはめても全く違和感のない問題が取り扱われている。むしろ26年たっても、この漫画で取り上げられている題材が解決していないことに驚かされる。東京って、全く進化していないんだな。

 

少々読みずらい部分もあるかもしれないけれど、全7巻で完結しているため、ぜひオススメしたい作品である。

 

メインのキャラクターは恐ろしく少なく、陰陽師一族の若き末裔の昴流とその双子の姉北都、そして動物病院を営むが実は暗殺集団「桜塚護」の当主星史郎の3人のみで作品は構成されている。

設定だけで中2病の香りがビシバシするが、読めば分かるがこれは全ての中2病患者達をなぎ倒す(そして、優しく現実に向かわせる)作品である。設定の前提として星史郎(男)が昴流(男)を「好き」という一見BLをにおわせる設定があるが、この「好き」という設定もくせ者なので、ぜひその設定にくじけずに読み進めてほしい。壮絶なラストには考えさせられるはずだ。

 

 

直木賞作家の辻村深月さんも「価値観を変えた作品」として紹介していた。

CLAMPという集団の狂気と美意識がぎっしりと詰まった作品だと思っている。

 

 

以下、壮絶なネタばれ注意

 

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君はドラゴンボール

私はこれから「ドラゴンボールSMAP」と「ワンピースと嵐」について書く。

始めに断っておくが、私は全部好きだ。全部好きで、応援している。

でも、私はこれからドラゴンボールSMAP」と「ワンピースと嵐」を少々比較しようとしている。そしてこれも始めに断っておくが、優劣をつける意味なんてないけれど、私はどちらかと言えば「ドラゴンボールSMAP」の方が好きだ。

この前提において、すでに不快感を覚える方は、ここでそっと回れ右してほしい。

 

 

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推理小説おすすめ6選

私の読書体験は宮部みゆきの「レベル7」からはじまる。

 

レベル7(セブン) (新潮文庫)

レベル7(セブン) (新潮文庫)

 

 おそらく読んだのは小学校の高学年の頃だっただろうか?それはもう、頭をがつんと殴られたような衝撃を今でも覚えている。その衝撃とは、「こんなに面白いものがこの世にあるのか」という衝撃だ。今まで読んできた本とも、漫画とも、ドラマとも、映画とも違う衝撃、そう、初めて読む「推理小説」の面白さに心を奪われたのである。

 

今でもたまに読み返すが、今になって読むと、正直なところ著者の他の作品に比べ、特段優れているとは言えない。でも、「これが本を読むという事なのか」と誤解させてくれ、今日にいたるまで推理小説を愛するきっかけとなった大切な1冊である。

 

その後小学生らしく、はやみねかおる氏の夢水清志郎シリーズ

 

そして五人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノ-ト (講談社青い鳥文庫)

そして五人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノ-ト (講談社青い鳥文庫)

 

 

中学生になったら恩田陸氏(推理小説作家だと思っている。)

 

六番目の小夜子 (新潮文庫)

六番目の小夜子 (新潮文庫)

 

 

高校生になったら若竹七海

 

ヴィラ・マグノリアの殺人 (光文社文庫)

ヴィラ・マグノリアの殺人 (光文社文庫)

 

 

大学生になったら北村薫氏の「わたし」シリーズ

 

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

 

 

など、もちろん男性も楽しめるだろうが、女性にとって親しみやすい推理小説作品を楽しんできた。

 

中でも特に思い入れがあるのが西澤保彦

 

麦酒の家の冒険 (講談社文庫)

麦酒の家の冒険 (講談社文庫)

 

 

先日衝動的に再読したくなり、アマゾンで大量購入。至福の読書体験でした。

 

特に匠千暁シリーズは、何回読んだかわからぬほど。「いつか実写化されたら」とふとしたときにキャストを考えています。

 

 

推理小説ってなんなのだろう。と思う。

 

きっと読まずに一生を終えていく人も多いのだろうな。

私にとって「本」とは「推理小説」のことなのです。

 

「謎」って、日常の中にはあまりありませんよね?

「本」だからこそ可能なトリック、舞台設定で、非日常の「謎」の世界に導いてくれる。そんな推理小説が読みたいのだ。

 

 

 推理小説おすすめ6選でした

 

銀魂によせて

私がジャンプを読むのを辞めたのは、確か封神演義が連載終了したときだった。

 

その後のジャンプ連載漫画は、有名どころのみBOOK OFFで立ち読みし、気に入れば書店で購入というスタンスでいた。そんな私が非常に久しぶりに、有名どころではなく、立ち読みすることもなく、コミックスの第1巻を買った漫画、それが銀魂だった。

 

ちなみに当時銀魂はジャンプ打ち切りレースの本名馬であり、第1巻の初版は少なめに刷ったところ、想定外に売れたため入手困難になったというエピソードは有名だ。

 

なぜ私が銀魂を買おうと思ったのかというと、私は非常に安易な史実幕末ファンであり、特に「新撰組」に関する小説、漫画は一応チェックするようにしているからである。

この銀魂に登場する、「真撰組」の隊服は、有名な土方歳三の洋装写真をもとにデザインされていると考えられる。洋装、短髪ということで銀魂内の土方十四郎のビジュアルは、かなり史実の土方歳三のイメージと近い。この、史実においては土方歳三しか着ることが無かった「洋装」を、近藤が、沖田が着て、そして彼らもまた短髪にしていることに、私はなんだかロマンを感じたのである。

 

銀魂の1巻を読んだ感想は、非常に失礼ながら、よくできた同人誌みたいだな。というものだった。それはクオリティー的な意味ではなく、歴史上の人物達の、非常に良く出来た萌え設定による、幕末パロディ2次創作を読んでいる気持ちになったのだ。登場する歴史上の登場人物達がみな、より「萌える」設定を付随して登場し、ゆるやかに歴史上の出来事とリンクして物語が進行している。そして特にフューチャーされているのが、高杉、桂、吉田松陰新撰組という、幕末の有名どころばかり。

 

正直なところ、私のような薄い幕末ファンであれば、誰でも銀魂には萌えることができるだろう。でも、決してそれだけでは魅力が銀魂にはあると思う。それが何なのか私にはうまく説明できないのだが、このたび久々に銀魂56-59巻を購入し、なんとなく感じるものがあった。空知先生は、幕末パロディ2次創作において、ものすごく難しいことをやろうとしているのではないか?と思ったのである。

 

 

まず先にも説明したが、この銀魂の世界では、ギャグパートとシリアスパートをいったりきたりしながら、ゆるやかに史実に呼応した事件がおこり、時間が流れていく。

そして高杉、桂、吉田松陰新撰組という、幕末の有名どころをフューチャーした、幕末パロディ2次創作である以上、この漫画の行き着く先は、やはり「明治維新」であると考えられるのだ。するとオリジナルパートである万屋ファミリーをのぞき、この漫画で生き残れる歴史上の人物は「桂」だけという恐ろしい前提が、この銀魂の世界にはあるのだ。

 

 

これ、人情ギャグ漫画だから、空知先生そこまで考えていないから!

 

 

と、思う方もいらっしゃるでしょうが、私は空知先生とはかなりきっちり史実とのかねあいを考えている方だと思う。

 

 

例えばそれを逆の意味で裏付けしたのは、「ミツバ」の存在だ。ミツバは沖田総悟の姉として何の伏線もなく突然登場し、病で死んでいった。だが史実では病で倒れるのは沖田自身であり、姉のみつは病で倒れない。ミツバは、史実では夭折する沖田の身代わりになり、銀魂の世界において死んでいったと考えられるのだ。

このエピソードから、空知先生は、史実で死ぬ人が死なないためには、身代わりが必要だと考えているくらい、なるべく史実に誠実であるべきだと考えていることが読み取れる。とすると、この平和な銀魂ワールドが、一気に不吉な世界に思えてくるのだ。

 

そんなわけで私は割と「この人達、みんな死んじゃうんだ…」と薄ら寒い気持ちで銀魂を読んでいた。これは「あまちゃん」の世界でいつか地震がおこると知っていながら見ていた気持ちと似ている。

 

 

で、このたび銀魂では、56巻から将軍暗殺編が開始した。全パートが終わったらまとめて読もうと思っていたのだけど、どーにも気になってしまって買ってしまった。

 

そして読みながら「ついに銀魂では、歴史の分岐が始まったようである」という事実に、燃えたぎってしまった。

封神演義でいうと、ついに歴史の道しるべから外れた世界になってきたのである。

 

史実で考えると現在は徳川慶喜就任の1866年の12月。1867年の4月には高杉は結核で死に、同年10月大政奉還、11月坂本龍馬暗殺、翌年戊辰戦争開始、近藤が斬首、沖田が結核で死に、1868年には土方が戊辰戦争で死亡。と、怒濤の大虐殺タイムがそろそろはじまるのである。

 

 

とにかくそろそろ史実から乖離させないと、高杉が血を吐いて死んでしまう!という状況で、歴史の分岐が明確に始まったと考えるシーンは、「近藤が、攘夷志士を手を組む事を決意する」シーンだ。つまり59巻でヅラが近藤に共闘を呼びかけるシーン。そのシーンは、1ページにアップの人物で2コマという、銀魂にしては非常に珍しい、シンプルな構成だ。これは大きく史実を逸脱したシーンであり、且つ、このシーンがものすごく重要なシーンであると空知先生自身が考えているからではないだろうか?

 

そして高杉と銀時の戦いの後の朧の「まだ天に抗うか」「八咫烏が告げし天啓」という言葉は、この世界には天=史実があり、そこからの乖離を暗示している 。また、この将軍暗殺編において、歴史上のキャラクターの命を救い、発破をかけるのはオリジナルキャラクターの神威や神楽、そして銀時である。

 

また、今回のエピソードにおいて沖田が大きな影響力を持っているのも印象的だ。

実は先に述べたミツバのエピソードにおいて、私はどうして空知先生が、わざわざ突然ミツバを殺してまで沖田を生かすことにしたのか疑問だった。だが今回のエピソードを読み、ここで近藤と土方を救うために沖田は生かされていたのだな、と感じた。近藤は処刑され、沖田は病に倒れ、土方は一人戦い続ける、これが史実だ。沖田を生かす事で、本来辿るはずだった運命から真選組を、土方を、近藤を救おうとしているのではないだろうか?す、救ってくれるよね?まあとにかく「沖田」は「病で死ぬ」という非常に有名な史実に沿わないことにより、真選組新撰組と同じ運命はたどらないことが暗示されていたのではないだろうか?

 

あとは個人的には、この将軍暗殺編では20代以上の大人達、つまり土方、近藤、銀時がしめっぽく史実に負けそうになっているのに対し、沖田や神楽、神威といった少年少女達が運命に立ち向かっているのは、非常に少年ジャンプっぽくて良いと思いました。笑

 

 

 

ともあれ、このような歴史パロディ物において、歴史の分岐をさせるのって、ものすごく覚悟がいることだと思う。そこには必然性が必要だし、分岐させるからには、ある程度の救済が無ければならない。空知先生は、この銀魂における明治維新をどのように成し遂げようと考えているのだろうか?明治維新の前の大きな歴史の分岐点が「大政奉還」、銀魂の世界においては、天導衆を司る「天子様」が権力をすべて掌握するわけだ。なんとなくこれが銀魂のクライマックスになるような気がする。空知先生は、この幕末パロディ2次創作において、これからものすごく難しいことをやろうとしているのではないでしょうか?

 

 

 

***

と、ここから下は普通の感想ですが、高杉と銀時の戦いのシーンが本当にすばらしく、すごい漫画になったものだと思いました。高杉、銀時、桂、松陽の因縁を空知先生はおそらく物語の初盤から温めていたのでしょうが、そう思って読み返すと何もかもが切ない。ヅラと銀時も、ずっとこの過去を背負っていたかと思うと切ないじゃないか!

2巻で、ヅラが新八と神楽を背負う銀時に「今度は離すなよ」(すみません、これうろ覚えです)というニュアンスの言葉をかけるシーンがあるんですが、これってつまり「かつては銀時が自ら仲間との繋がりを切った」「それを桂も受け入れている」ということで、その事実に少々疑問を感じていました。銀時が自発的にそんなことをするだろうか?と思ったし、それを桂は受け入れるのだろうか?と思ったのです。でも、この因縁があるなら全てが納得で、紅桜編も全ての台詞が切なく聞こえる。

 

そして銀時、高杉、桂、松陽と、真選組の3人が対比している構成も素晴らしい。高杉、銀時の因縁を58巻まで全く出さなかったのは、この真選組のエピソードと対比させるためなのだと思うとなんだか胸熱である。銀時は土方が、いつか自分と同じ道をたどるかもしれないと察し、かまい、気にしていたのだろうと思うと、思うと!!という感じである。

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラゴンボールの好きなところ

ドラゴンボールZ 復活の「F」公開に寄せて

 

たくさんの漫画を読んできたけれど、私にとってのナンバーワン漫画は「ドラゴンボール」なのだ。

 

私は面白い小説、漫画、映画は、「怖い」と思う。

 

思うのだが、怖い話は、とてつもなく上手に、さりげなく、「絶望」が描かれていると思うのだ。

 

そしてドラゴンボールも、サイヤ人編以降は、とてつもなく怖い漫画だと思う。実はサイヤ人編以降、ほとんど悟空は死んでいる。たとえばフリーザの戦闘力がわかったとき、人造人間が現れたとき、セル編でタイムマシンがもう一つ現れたとき、悟空はいつでも死んでたり死にかけたりしていて、いつだって悟空の仲間達はものすごく絶望的な状況なのだ。でも、「必ず悟空がなんとかしてくれる」という思いだけで、悟空の仲間達は希望を失わないし、私たちは読み進めることができる。

そんな絶望と、

 

第二の主人公であるブルマが、当初の夢をかなえて「王子様=ベジータ」と結婚するという、プロットだけで考えると少女漫画もびっくりの甘ったるいエンターテイメント性と、

 

悟空とベジータという最強の2人が命を落とすとき、2人とも最後の台詞は、子供に向け「母を頼む」と言う。

 この非常にシンプルであたたかい家族のあり方、

 

 

 

 

そんなところに私はいつでも心動かされるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

美人になれるかな?

私のなけなしの美人の友達、知り合いをよくよく観察すると「美人は努力している」としみじみ感じます。と、いうことはもしかして努力の法則を見いだし、努力すれば美人になれるんじゃないでしょうか?という記事です。ちなみに読めばわかると思うが、「これはクラスで一番美人の次元が違う美人」の法則ではなく、「そこそこ美人」の法則でございます。

 

 

1.美人は「顔」に一番時間をかけている

 
美人を観察していると気付かされるのだが、美人はいついかなる時でも必ず化粧をしている。そしてかなり頻繁に化粧直しをしている。

実は美人の大半は「化粧がうまい人」であることは、女子ならなんとなく理解できると思う。そもそもの骨格が違うから…と思い込むなかれ、美人とは己の顔に全力で向きあい、化粧に対しかなりの努力をしているの人達なのである。

 服にはあまりこだわりがない人が多い気がする。「顔」さえいつでも万全の体制であれば何を着ていようと問題ないと確信しているのだ。

 ちなみに次に時間をかけているのは「髪」だと思う。特に凝った髪型にしているわけではなく常に「それなり」の状態をキープしている。

 

意外にも美人はそんなに肌にはかまっていない気がする。ベースメークでカバーすれば良いし、頻繁に化粧直しをすれば良いだけなのだ。美人は「肌がきれいだからスッピンでも出かけられる」「化粧してもあまり顔が変わらない」「土日だけ化粧する」などとは決して言わない。安い化粧品でもなんでもいい。毎日必ず化粧をして、そこそこの髪型とそこそこの服装で出かけることが大事なのだ。

 

 

2.美人は傲慢だ

 

世間って美人に対してものすごく優しく、美人というだけでものすごいサービスを受けてることがある。

たとえば私は美人と食事をしたとき、従業員の男の子から食事やデザートがサービスされたことが何回かある。私はびっくりしたのだが、美人は驚いていなかった。多分良くある事なのだ。これはささいな例だが。

結果美人は傲慢になる。しかも本人はその傲慢さに全く気付いていないことが多いので、結構びっくりするような要求を人にすることがある。人から無償で何かをしてもらうことに慣れきっているのだ。

 

この傲慢さを今から身につけるのは至難の技である。ブスは卑屈だ。

ただ、人から好意で何かをしてもらったとき、「すみません」と言うのではなく「ありがとう」と答えるという小さな一歩から踏み出したい。

 

 

3.美人は群れない

ブスは群れるが、美人は決して群れない。これは謎である。

 

 

.結局は遺伝である

美人の母親は美人である。

当たり前と思うなかれ。前述の通り、美人とは日々美人であるべく努力している人なのだ。なぜそのような努力をしているのかというと、母親が努力していたからだ。だいたい美人の母親は、家でもちゃんと化粧をし、スカートをはいているものである。そういう母親の努力を小さい頃から間近でみることで、本人も努力しだすのだ。 つまり結局は遺伝だとも言える。

 ちなみに母親は娘がきれいになることを手放しでは喜ばないらしい。とりあえず母親は超えるのが美人への第一歩だ。

 

 

さて、美人になれるかな?どーかな。